HOME | ご案内 | サロンへの道順 | お申し込み・お問い合わせ | English Page

Archive for the 'こころ' Category

子は親のかがみ、親は子のかがみ

木曜日, 5月 22nd, 2014

なんてよくいいますね。

いくつになっても子育てに悩みはつきないもので、小さい頃はまだしも
大きくなってからますます理解しがたくなったり、こどもとのつきあいかたが難しくなる場合もあります。

そうは言っても、自分の分身のような我が子です。

なぜこの子は、、と思ったときに、子供のことを考えるのはもちろんですが、自分とむきあってみることも必要だとおもいます。
いつも子供は自分のうつし鏡になっています。

子供ばかりではなく、身近に関わる方の多くは自分のうつし鏡のようですね。

人(子供)のことを理解したいと思うときに、存在を、その行為を認めてあげることも時に大事なことだと思っています。

それ(理解すること、認めること)ができないときももちろんあります。
そんな時は自分の心に余裕がないときだと、わたしは自分の場合はそんな風に考えて、できるだけリフレッシュしたり、自分時間をつくろうと努力します。

私の子供は14才と10才でふたりともそれぞれ心の成長、精神的にも成長を感じるお年頃です。
年齢的にとくに娘はむずかしいと感じるときもありますが、できるだけ話をきいてあげたり、一緒に過ごす時間を短くても大事にしたいと思っています。スキンシップも今でもかかしません。

息子くんは自分で産んだ子供ではありませんので、一緒に暮らした当初は、男の子を育てたことはないし関わりを難しく感じていた時もあり悩みもありましたが、それから2年近く経ち親子として関わることができるようになりました。ひょうきんで素直で、頭の回転がよい子です。シニア世代の方、とくにおばさまたちから人気があって大人のように会話ができたり、コミュニケーションが上手なおもしろ〜い子です(笑)
初めてあったときに笑顔がとってもチャーミングで大好きになりました。その第一印象を私は忘れないようにしたいとおもっています。
息子に対してむずかしいと感じたのは、自分の家系や私の血の中にはなかったような個性や考えを感じたときかな。想像できないようなことや行動があるとかなりとまどいがあった感じがしています。でも、一緒にいるとそれもすっかり慣れました(笑)
時間が経過した積み重ね、毎日のこと、大事ですよね。

最近は離婚、再婚という方たちも増えているので、私のようにお互いに相手に子供がいて一緒に暮らすというパターンの方も増えているとおもいます。
私も子供たちにいろいろと鍛えられたり、経験をさせてもらっていますが、子供がいること、家族が増えることは自分が人間的に成長することにすごく繋がっている感じがします。

子供は私たちを成長させてくれるかがみ
大事に愛情をかけていきたいですね〜
この子達がいつか家庭をもって親になる、、私はお手本のようなものなんだ、ということを心の片隅において、、

お世話のじかん

水曜日, 6月 20th, 2007

毎日、家のグリーンや庭の植物のお世話に1時間以上は費やしてるらしい‥
夏だからすぐ乾いちゃうし、虫もついてるし、雑草も生えるし、育てはじめたら見ない振りはもうできないよねぇ。手をかけられるなら、もっと時間をかけたいくらい。いまは変化、成長の季節ですから、毎日のよろこびがあるので、その時間がひとつの楽しみです。

お世話といえば、もちろん大切なむすめこ。
昨日はひさしぶりに大噴火 😈 がおき、そのお世話に2時間以上。
反抗期もはいってきたしいろいろと難しいお年頃です。おさえがきかない性質だし、理不尽なことには納得しない(ごまかしがきかなくなりました)、一度爆発すると手こずるなぁ‥と思いつつ。私におもってること、自分の感情を泣きながらも言葉で伝えられると、母として反省することがたくさんありました。
子供のストレスは親が受け止めるのが役割だとおもっているし、これからもちゃんと私にぶつけてほしいな‥と思っている。
私もそうやって、両親にはいまだにたくさん甘えて、受け止めてもらってることを思いました。

小噴火、大噴火を繰り返し、おかげさまで私のほうは母性や、大分受け止める力が安定してきたな‥と今日は感じたり。今の私の生き方や日常的なことがおとなになってゆく娘のお手本となること。私の娘への接し方が、これからの娘にとっては人としての基盤や、人付き合いの基礎になってゆくから、ほんとうに大切なことだとあらためて感じた。もっとしっかりしなければ‥という気持ちと、まぁまぁできてんじゃない?という気持ちと(笑)
自分のお世話も大事だし、娘のお世話と、植物のおせわといろいろ忙しい夏になりそう。

dscf7644.jpg

子育てはなかなか面白い。

水曜日, 2月 14th, 2007

今日は小学生のお子さんがいる方がいらしてくれました。色々お話をしながらご自身の思いや心うちに気付かれたようで、私も一人の母親、女性、娘としての立場からこれからもっと幸せを感じてほしいとエールを送らせていただきました。お子さんがいる方とお話するときは、また共感できる部分が多々あって自分のこともよく振り返ることがあります。

子育てをするなかで子供を通じて自分と向き合う場面はすごく多い。赤ちゃんのうちは純粋でまっさらな赤ちゃんを通してみえるものがあるし。大きくなればなったで自分にかえってくる言葉や行動で悩んだり、苦しくなることもあります。
何があっても、大きくなっても子供は自分を成長させる気付きを与えてくれる、唯一の愛の存在だということは永遠にかわらないと思う。子供にとっての親もしかり。

最近、娘を怒っていて、娘は怒っている私の形相をリアルに実況してくれたことがあった。
「ママの顔怖い!!目も眉毛もつりあがってて、眉毛が太くって、声がおおきくって怖い!!かわいくない!」
と言われ、鏡ごしで怒っていたんだけれど自分の顔を見て「Oh〜〜!まさにその通り!!」って感じで思わず二人で笑ってしまった(笑)
小さい頃は言葉も達者じゃないから私がそんな顔で怒っていたら、心の中でそんな風に感じて怯えていたかもしれない。

また、一緒にお風呂に入っていて、気持ち良さそうにまったりしている私を見て「ママ〜お地蔵さんみたい。ママの顔お地蔵さんみたいに、「なむしゃかむにぶつ」の顔になってるよ。」と言われた。(その時は自分のなかで「そういうこと」を感じていたのだけれど‥)

やっぱり仏と鬼が人の中には混在しているんだな‥と何気ない娘の言葉からもあらためて教えてもらったようだった。人間っていうのはそういうものなんだと思う。何かのきっかけひとつで傾いてしまうことがある。どちらも自分であることは変わりないけれど、中立している、ちょうどよいバランスを保っている自分でありたいな‥と日々思ってるし、努力はしていると思う。本来極端な性質なので苦労しているところがあり‥(苦笑)

なんだかとりとめない話になってしまいましたが、娘の成長ぶりや自分を多面的にみてみると、子育てはなかなか面白いものよ‥と思う。

鑑定メニューのこと。

金曜日, 2月 2nd, 2007

今、メニュ−を書いてます。

手相や人相を占いの先生について学び始めたのは昨年からです。
それには自分のなかで、大きなきっかけがありました。カウンセリングをしたり、人と出会い続けて感じたことでもありました。

観相学は実際に教えて頂くうちに、自分のことがより深く理解できるようになったり、「やっぱり」としっくりくることがたくさんありました。そして、来て頂いてる方の手相をみせていただいて、自分が今までお話していたこととすごく「かちっ」とはまることや、より人生の流れがみえるようになってきたんです。それ以上に、自分が今まではあまりアドバイスできなかったことができるようになったり、広がりがでてきたように感じます。

手相や人相はその方の性質や現実的な部分がそのまんま現れてくるし、少し先の未来もわかります。ただ、それをそのまんま飲み込むのではなく、いいことはよりよくなるように、よくないことはいい流れに変化するように、自分の意識でどんどん変化させていかないともったいないな〜と思います。

手相やカウンセリングや、結局なにをしても、なにをみてもらっても、自分にしか自分の人生は創造できません。一人一人にあう癒しや方向性、変化を感じていたきたいので、私は手相、人相もメニューにいれてゆこうと感じました。ハワイアンフラも、やっぱりそのひとつです(これはどういう形になるか、まだわかりませんが‥)。

先週と今週と、立て続けに何人かの方の手相をみせていただきました。一人一人、すごく個性的です。手相も顔もみんなオリジナルであるように、自分だけのオリジナルな楽しい人生を創っていけますように。そして、自分自身の性質や自分を理解できていない部分を生かせるように、アドバイスしていきたいと思います。

こんな風に広がりができたのは、いい先生と出会えたからです。生徒に教える姿勢もすごく素晴らしいな‥と感じて、魔女の学校も始めることができました。ちょっとしたきっかけひとつで、意識は変わって豊に変化することができます。それには自分自身の努力は必要ですが、なにごともあきらめずに、せっかくの、今の自分しか感じられない人生、楽しくゆきたいものですね^^

子どもこころ、親のこころ

金曜日, 9月 1st, 2006

毎日、こころが痛くなるニュースが多い。子どもが親を殺してしまう、親が子どもを殺してしまう事件がなんて多いのかな‥。「親子の絆」を無視できないことばかり。

うちは母子家庭だから、「離婚した親の子ども」に焦点をあげられるニュースにはやはり敏感になる。そして、つい自分と重ね合わせてしまう。どうしてこんな結果になってしまったのか、その子どもに、その親にこころをあわせると、涙が出てしまう。
子どもの悲しみ、親の苦しみ、両方がわかる。「離婚」は、夫婦関係を修復できない過程の結果として、どうしようもないことがあるから仕方ないけれど、「親の勝手」といえば勝手になってしまう。その後の子どものこころをしっかりと受け止めてあげる覚悟をしないといけない。そして、一人で子どもを育てる大変さを理解し、助けてくれる人たちの存在は、絶対に必要だと思う。

離婚して1年半、最初の「大いなる決意」とは裏腹に、私も一人で子育てし、仕事をするのは、想像していた以上に精神的に負荷がかかることで、ビックリした。でも、結構気力で、頑張れちゃうんです。「まだ、大丈夫。まだ頑張れる」そういう風に続けていくと、いつか「ぽきっ」と簡単に自分が崩れるときがあるんです。それは身体を壊してしまったり、子どもに我慢をさせてしまって、ストレスを爆発させる結果となったり‥いままでにやはり何度かありました。そうすると、自分の顔は厳しくなるし、オーラもカサカサしわっぽくなるし、ツノははえるし。こんなのはダメ!もう自分一人で頑張るのは、本当にやめよう。一人でできる訳がないんだ。と素直に認めて、親姉妹ばかりでなく、親戚やお友達などにも何かあればお願いして協力を求めるようになりました。それで、自分の精神的なバランスもとれるようになったし、子どもも大分安定するようになって、生活や仕事に少しずつ余裕ができて楽になった。母子家庭、父子家庭では、両親そろっている家庭よりも、より密接に親子の絆を創っていかないと、バランスがすぐ崩れてしまう。子どもか親か、どちらかが倒れたらもう大変。また、子どもにとっては親の愛はもちろんだけれど、他人から、身内からもどれだけ愛情をもらっているか感じられるかが大切かもしれない。

カウンセリングに来る方には、一人で子どもを育ててる方、離婚を考えている方もよくいらっしゃって、現実の大変さで疲れている方も多くて、心中もわかるし、人ごとだとは思えない。そして、片親で育った境遇の方も割合としては多くくるので、親がいなかった孤独をどうやってうめればいいのか向き合っている‥その寂しさは、本人じゃないと決してわからないだろうと、私も胸が痛くなる。
でも、両親そろっていても、絆をつくれない子どもたちが増えている。それは、子どもではなく、親の問題であるから、親御さんがいつか気づき向き合う日がくるかもしれない。それは、きっと子どもから教えられるんだろうな。どちらにしても親が目をそらさずに自分のこころに目をむけて、子どもをしっかり受け止めていかないと、悲しい事件は増えていくのかもしれない。

ニュースをみるたびに、私に何ができる訳ではないけれど、何かできることはないかなぁ‥とつい考えてしまう。いつもいきつく答えは、私は私の人生を歩み、自分のできることを精一杯やっていこうということ。そして、自分の子どもを、何があっても、いやがられても、嫌われても、抱きしめ続けていこうということだけ。

jpeg

今を生きる。

金曜日, 7月 14th, 2006

ここ何日か、色々考えごとをしているせいか、天気のせいか?なんとなく気持ちがスッキリしない。
昨日は朝からとってもいいお天気だったので、すこし気分が盛り上がり‥円山公園でピクニック♪
昼からビールを飲みのみ、たわいないおしゃべりと、かわいいこどもたちと、心地よいお日様と風に感謝した。

帰ってきてからは、庭のお手入れ。
放っておけばすぐに私の天敵がはびこってゆく。
引っ越してきた当時の荒れ放題の庭に比べれば、今は大分ましになった。
ハーブ類、葉もの、枝豆、きゅうり、なす、大根、ラディッシュ、とうびき、トマト、ジャガイモ、サツマイモ‥etcいつのまにか自家菜園はとても充実していました。

1年前くらいに、母と一緒に草むしりをした。
あまりのスギナの多さに、二人とも文句を言ってたのだけれど
「これだけスギナが生えてるってことは、あんたもこうやって土をはって、なにがあっても強く生きていきなさい。ということなんだよ‥」
とぽつりと言われた。
いろんなことがあったし、母から言われたその言葉の重みが忘れられない。
私をこころから愛してくれている母じゃないと、絶対に感じない重みだった。

どんなに覚悟しても覚悟しても、自分のこころが揺らいだり、弱さでへんこんだりすることがある。
でも、母に言われた言葉を思いだすと、頑張ろうという気持ちになる。
きっと他人から同じようなことを言われても、私はきっとこんな風に受け止めなかっただろうな。
いつか母が亡くなっても、この言葉と母の私への思いはこころの中で生きていく。

自分の現実を受け止めて、「今」を生きている人はどれだけいるんだろう‥。
「生きる努力をしない人間は、生きている価値がない」と、先日テレビで末期がんの方が言っていた。
身体はやせ細っていたけれど、命は輝いていた。本物の言葉だ‥と感じた。
一瞬一瞬のきらめきを感じながら生きるのは、難しい。
でも、自分なりに努力してやっぱり精一杯生きていきたいと思う。

スギナは私の天敵だけれど、生えていないとなんとなくものたりない。
根っこからぬけば「また生えてくるだろうか?」と気になる存在なのでした。

jpeg

成長と気づきをもたらしてくれる関係

金曜日, 6月 16th, 2006

娘が体調を崩してから、今日まで‥考える時間がたくさんあったし、また気づきも多かった。ほんの少し飲ませた薬の副作用はまだ身体に残っているようだし、体力が回復する、本調子に戻るまでは私も油断できないなぁ‥という出来事が続く。

今日も朝から娘のことでひとやまあり、くったりと疲れる。が、母はイチイチめげてはいけないのだ!と自らを奮いたたせた。
でもこんな時は、やっぱり人にお話するのが一番だし、受け止めてもらいたいと思う。
「今ある私自身」の元気のツボを熟知している、泣かせてもらえる懐をもっているのは両親を含め、友人が数人。その人たちが支えてくれている、信じてくれている、勇気を与えてくれる‥とこころからわかっているから、私はほぼ一瞬で気分を切り替えられるようになり、頑張れるようになったし、孤独感がなくなった。その関係は、揺らぎやすい現実世界の中で、私の「ベース」、本来あるべきところへ戻るように‥と神様から用意してもらったギフトのように感じる。

こころから信頼できる人、こころの友というのは、たくさんは必要ないし、そうできるものではないと思っている。そして、お互いを切磋琢磨し、素晴らしい成長と気づきをもたらしてくれう関係もそう多くはないと思う。寂しいから、誰でもいい‥というのは自分の孤独感を広げる結果に繋がることもある。でも、そこで自分が何故孤独なのか‥ということに気づき、真剣に向き合うことができたら「無限の愛」を受け取ることができるようになるかもしれない。

自分の過去の人間関係を振り返ってみると、付き合いのいい性質だったので多くの友人がいたし、遊び仲間、親友がいた。自分の精神的な成長に関わる学びを一緒に共有できる友もいた。本当に人に囲まれた人生‥という感じ。人と会うことに時間を費やし、楽しみがあった。でも孤独感はなくならなかったなぁ‥と思う。
でも、自分が変化するにつれて、一番に現れてきたのは周囲との人間関係で、大きな転機はやはり3年前に仙台に引っ越しした時だった。
新しい出会いがあれば喜びがあり、一つの学びが終わって分かれがくれば悲しみ、人との出会いと分かれで一喜一憂し、すごく自分のこころが不安定で左右されたように感じたこともあった。人間関係で本格的に揺らぎがなくなったのは、色々なことを整理して新たなステージに立った、やはり札幌に帰ってきてからかな‥と思う。

自分が何かにくじけそうになった時は、必ず強い決意をした日を思い出す。
「自分の命にかえても、この子を守り続けよう。自分が思い描く幸せを日々感じれるように、どんなことにもくじけずに頑張ろう!」
と決意した自分のこころに帰ってくる。
私の本質が全開になったその時の意識は、私が弱音を吐いたときに、一番の応援をくれている。これは究極的な意識であり、人は窮地に追いつめられたときに、本当の自分をみるのだと実体験したんだと思う。私には「守るもの」がある。それは生きる強さになり、なにごとにもかえがたい信念になっている。

本当に自分が願っている輪を広げるには、こころを強くもち続けるしかない。
そして、自分のスピリットが「こころから出会いたい」と願っている方たちに祈り続けるしかない。
私は死ぬまで、必要としてくださる方たちに愛の言葉を伝え、形にし続けたい。

#自分のことも振り返ってみてですが‥カウンセリングでは、人間関係(親子、夫婦含め)に悩んでいる方の御相談が多い。どんなに嫌いな人でも、苦手な人でも、周囲にいる人たちひとりひとりは、必ず自分の鏡になってくれていることを忘れないでほしい‥と思います。ただ相手に不満を持つのではなく、自分の足下をみてみること。そして、何を願ってくれているのか‥と本質を感じられるようになると、本当に楽になっていきます。

親子の愛

水曜日, 4月 5th, 2006

最近、何かにつけてふとよぎることがあります。
「私はママなんだ」ってこと(あたりまえだけど‥)

ご飯を作ってるとき、一緒に遊んでいる時、お話しているとき、お風呂にはいるとき、抱っこしてあげるとき、眠るとき‥

今の私は人間として、「ママ」だけではなく、いろんな役割を与えてもらった。
どれも大事だけれど、それは私がやらなければ「誰かがかわりにやってくれる」ことだと思ってる。
でも、「ママ」だけは、絶対に誰もかわりになってくれないし、なれない。
それを思ったら、私はこの子と一緒にいれて、幸せなんだなぁってこころから思う。
だから、大事に丁寧に育てたいっていう気持ち。ひさしぶりに膨らみました^^

もし、今、事情があって我が子と暮らせない方は、同じような気持ちで子どものことを思い、成長を祈ってあげればいい。
生きていればいろんなことがあるもの。自分の子どもを手放さなければならなかった方もいるかもしれない。
自分の身を削り産んだ我が子と別れるのは、なんという痛み、苦しみか、はかりしれない。
でも自分を責めてはいけない。苦しんではならない。
無条件で愛することを与えられたのはあなただけだから。
強く子どもを思う気持ちが、見えない絆となって小さなこころをくるんでくれている。親子の愛はなによりも強く、優しい‥。

孤独から安らぎへ

木曜日, 2月 23rd, 2006

本当は、私の中にあったソワソワと落ち着かない感覚は、ずっと前からあったんです‥。でもどうしても向き合うのが怖くって、どんどん後回しにしてたんです。でも、こんな時もあります。それもタイミングだと思うし‥。
実はちょうど1年前くらいに、渡されたものがあって、その時は「そんなのいいよ〜」って軽い気持ちで無視してたんだけど、今思えば結局は怖くて手が出せなかったのね‥。でも、今日の午前中は自分のために、しっかりとワークをしてみて、1年前やってもきっと感じられなかったものが、私のなかで広がると同時に、「怖くて暴れてたもの」は癒されてすっかりとなだめられました。
こんな癒しを自分の中で体感できたのは、とてもひさしぶりで‥すごく落ち着きました。これを定着させて、私自身も皆さんに深い癒しをもたらせられるように‥精進したいと思います。

やっぱり私は感謝がたりないのだなぁ‥と、こんなことがある度に思います。日々、感謝しても感謝してもつくせぬ思い‥それはやっぱりこの世に命を与えてくれた両親への愛です。それを生きている限り何度でも受け止めて、私も次の世代に残していきたいと、あらためて思いました。
私たちはたった一人で生きている訳では決してないんです。「私1人で生きている」という顔をしているのは(私も昔からそうでしたが‥)、周囲への甘えや幼さ、依存からきていると思います。本当は寂しく、誰よりも甘えたい‥その思いを素直に認めて癒せるといいですね‥。

セッションではよくお話してたのですが、自分のこころからこんな風に受け止められたのは、初めてかもしれません。自分の身体が「ここにある」という感謝、どんな方との出会いも大切に、そして‥やっぱり自分の中から溢れる希望や愛は見失わず、日々を精一杯自分らしく生きていきたいです。
こんな風に、私に気づきをもたらしてくださった方たちに、こころから感謝します‥。

希望にむけての出発。

金曜日, 2月 3rd, 2006

昨日は美容室でひさしぶりに癒されてきました。う〜ん、気持ちよかった☆
私の切ってもらってる美容師さんとのお付き合いは、もう12年くらいかな‥。昨日ひさしぶりに会って、髪を触ってもらって、とっても大切にされているのを感じて嬉しかった^^やっぱりこの方しかいない!みたいな(笑)昔から私が何も伝えなくても感覚で感じてくれて思うようなスタイルにしてくれるという‥信頼関係が心地いい。長いおつき合いだからいろんな私を垣間みてくれているし、会うとなぜか安心する人です。

美容室に向かう途中に、去年の今日を思いだしました。
ちょうど1年前のわたし。新しい出発への怖れと不安と悲しみと‥‥ネガティブな気持ちが一気に集結したような固まりを背負って札幌に着いた。雪祭り前の札幌は一番寒い時期。春は近し‥でも、なんでこんな時に来ちゃったんだろう‥ってそれだけで、それだけで後悔しそうになって、とっても疲れた。でも、それをかき消すくらいの強さで、自分のこころから放たれる希望や勇気もあった。あの頃の私、ヨレヨレだったけど、ほんっとに強かったな〜なんて自分に拍手しちゃう(笑)。
今日の厳しい寒さが、あの頃の私に一瞬タイムスリップさせて、いろんな思いが一気に蘇ってきて涙が出たけれど。握っている子どもの手が大きく、強くなっているのを感じたら、申し訳ない気持ちと、元気に大きくなってくれていることにホッとして‥とても感謝した。この子のこころの中にはどれだけの悲しみがあるのかなぁ‥と考えたら、自分が崩壊するくらい落ち込んでしまうから今はしないようにしている。でも、成長していく段階で、いつか私も一緒に向き合う日がくるんだろうなぁ‥と覚悟している。

両親がやむなく離れて成長した子どものこころが、どんな風に残って大人になっていくのか‥、私はよくわかっています。そのことがひっかかっている方がたくさんウチにはくるから。親のこころ、子どものこころ、2つの痛みが私には自分のことと同じように感じられています。親子の絆を癒すセラピーが、皮肉なことに私が得意だったりするのは、自分でいろんなことを学んでいるからだろう‥と思う。でも自分の勝手で、絶対に子どもを犠牲にしてはいけないと、それだけはいつもこころに置いてあります。
夫婦が別れてしまうのは、その背景にいろんな理由があるから、たとえ自分の親でも、友人でも、他人でも絶対に理解するのは不可能だと思うし、理解してもらう必要はないと思う。ただ親には、一緒に苦しみを感じたり、心配させたり、悲しい思いをさせてしまうのは、こころから「ごめんなさい」という気持ちでいっぱい‥。
子どもの為を考えて、愛がなくなってしまった夫婦でも一緒に暮らすのが良いのか、思い切って別れて両親の不調和を感じさせない方がいいのか、どちらがいいかなんて親にその判断は難しい‥。子どもにとっては両親がそろっているのがあたりまえなのだから。でも、どうしても離れなければならない夫婦もいるし、現実には年々増加しているし、そんなに珍しいことじゃない。
一緒に暮らせていなくてもセラピーで親子の絆を受け取ることはできます。子どもに対する責任は、親は背負わなくていいと思う。こういう問題に直面した時に、夫婦の絆、子どもとの絆を「自我ではない意識、本質」で見つめると、
「なぜ、こういう結果になったのか、なぜ離れなければならなかったのか、なぜ子どもがきてくれたのか?」全く違う視点からメッセージがみえてくる。でも、突き詰めるとやっぱりこれしかなくって、それぞれが「自分がどう生きたいか」と選択すること。

少し振り返る余裕ができたのは、 ほんのすこし時間が経った証拠。あの頃に取り残された私が残っていたんだけど、もう本当に前を向くしかない。
今日は2年近く伸ばした髪を切ってもらって、気持ちもスッキリ。あ〜ほんとに覚悟を決めよう!と、気合いが入った感じかな。
私が悲しむと、周りも悲しむ。私が笑顔でいると、周りも笑顔。私が不幸せだと、周りも不幸せ。私が幸せを願えば、同じようにみんなが自分の幸せを願うようになる。とっても自分勝手かもしれないけれど‥今、現実はそのように見えている。
みんな苦しむために産まれたんじゃない。自分らしい幸福と愛を感じるために、産まれてきたんです。そして、誰もが願えば絶対にその人生を手にすることができると信じています。
私は、いらない苦労はしなくてもいいけれど、自分の学びに必要な苦労はどんどんした方がいいと思っています。そこから逃げてはダメ。そこから抜け出す勇気をもとう。もっと楽しく生きるために今年は「頑張り年」ね。自分のこころと身体、磨く努力はずっとずっと続けよう☆