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No.254351
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軍靴が鳴りひびく食糧難の時代であったから、商売をつづけながら、米作も畑作もやって日々を凌いでいた。そのうち戦争に突入して統制経済となり、自由な商売ができなくなったかなりの洋服地を卸していたからだろう、(昭和)年に海軍監督工場に指定され、南方にいる兵隊の防暑衣としてカーキー色のシャツを加工して納入した戦後は自由経済にもどったが、品不足は変わらなかったつくりさえすれば飛ぶように売れるのに、すでに現金で払ってある原料が入ってこない。とことんやられて、従業員を大きく減らした敗戦から年を経た(昭和)年月、矢島さんは総領息子であったから、自然な流れとして父が営む加納屋に入社した。 |
2015/11/29/Sun/23:24 |
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